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真宗の教え

PREACHING

2019/02/03

今日は報恩講の「報恩」という言葉について考えます。この言葉は宗祖親鸞聖人の三十三回忌より意識されるようになりました。覚如は聖人三十三回忌のときに報恩講式という聖人の徳を称える文を作られました。これは聖人のことを後世に伝えるために作られた文です。また、蓮如上人は御文の中で、何度も「報恩講」という言葉を使われています。もともと「報恩講」という言葉は親鸞聖人のことで使われていたわけではなく、当時は他宗でも使われていました。蓮如上人が何度も使われたことにより世の中に広まり、浄土真宗固有のことばとして使われるようになりました。地方によっては「御取越」という言葉が使われることもあります。報恩という言葉の語源はお釈迦様のおられたインドのサンスクリット語の「クリタジュニャター」という言葉です。
お釈迦様の教えがインドから中国に伝わって漢文に翻訳され、日本に伝わりました。ただ、同じインドのお経を翻訳したものでも、翻訳した人によって解釈の差異があるため、漢文による表記の違いが何種類もありました。また、翻訳せずにインドの言葉の読み方を採用して当て字として漢字を使用する場合もありました。「南無」は「ナマス」という言葉で意味は「心から信ずる」ということで、「阿弥陀」は「アミターバ」「アミターユス」というインドの言葉を漢字にしたものであり、「ブッタ」というインドの言葉は「覚った者」という意味を持ったものです。親鸞聖人の書かれた教行信証には「「信」はすなはちこれ真なり、実なり、誠なり・・・」とあり、「信」という言葉の意味について様々なお考えを明らかにされました。
先ほど紹介したサンスクリット語の「クリタジュニャター」ですが「クリタ」は「為される」という意味で、「ジュニャター」とは「知る」「悟る」という意味ですから、「なされたことを知る」という意味です。親鸞聖人は「報徳」という言葉を単独で使用するよりも「知恩報徳」という言葉で度々使用しています。「知恩」の字は分解して解釈すると「原因を知る心」となります。「報恩」だと少しニュアンスが違います。七高僧をはじめとした過去の人たちが「知恩報徳」を大事にされていたのでそこから二文字をとって「報恩講」と呼ばれるようになったものと思います。他にも同意の語として「報恩謝德」という言葉も親鸞聖人や蓮如上人は使われました。
龍樹は大乗仏教の祖と言われます。「大乗仏教」は皆共に救われる教えを説く仏教です。主著「大智度論」には「恩の重きを知るがゆえに常に仏を念ず」「恩を知るがゆえに広く供養す」といずれも「恩を知る」と記されてあります。天親は「浄土論」を著し、曇鸞はその注釈書の「浄土論註」を著しました。これには「恩を知りて徳を報ず」と記されています。ここでも「知恩」と「報徳」の関係に言及しています。これによってインドから中国へ浄土教の教えがしっかりと伝えられました。
道綽は曇鸞の石碑にひどく感銘を受けたそうです。その弟子の善導は「往生礼讃」を著し、その中で「大悲伝普化 真成報仏恩」と説かれました。これを受けて親鸞聖人は教行信証の中で「仏恩の深遠なるを信知して正信念仏偈を作る」と記されています。「仏恩」を「信知」して正信偈を作られたことがわかります。「恩を知る」ということが行動を起こす一つの縁となっています。
ボランティア活動で有名な尾畠春夫さんは「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」と言われました。私たちは反対のことをしがちです。経済的には大きく発展しましたが、他人への感謝やつながり、いのちへの敬愛の念が希薄になっている私たちは幸せでしょうか。私たちの暮らしは豊かになっていますが、幸せになっているでしょうか。
神戸にレインボーハウスという阪神淡路大震災遺児のケアセンターがあります。1999年に使用開始されました。初代館長の林田さんは東北の震災の被災地に施設建設のため東北事務所長として赴任しました。その際阪神大震災の遺児が東北の震災の被災地活動に従事していることを心強く思い、大変喜ばれていました。阪神の震災を経験した遺児たちだからこそ我がこととして受け止め、被災地の人たちに優しく接することができました。受けた恩は与えた人に対して直接お返しすることはできないかもしれませんが、違う形でお返しすることができます。「知恩報徳」恩を知り感謝の気持ちを返すという一つのかたちであると思います。
一念多念文意に「もとめざるに無上の功徳をえしめ、しらざるに広大の利益をうるなり」と記してあります。私たちは求めたわけではないのに、知らないうちにいのちを与えられて暮らすことができています。様々なご縁によって生かされてきたことが知られます。それを知ると、周りに振り分けずにはいられません。共に幸せでなければ自分の幸せにはなりません。本当の幸せとは皆共にそうであることであり、それを表すことばが「知恩報徳」です。


2018/10/20

浄土真宗はたくさんある仏教の宗派の一つだと思われていますが、そういうことではありません。「仏教、ここにあり!」という意味が「浄土真宗」という意味です。親鸞聖人は「生きた仏の教えがここにある」という意味で「浄土真宗」と言われました。親鸞聖人の著作として有名なものに「教行信証」というものがあります。これは浄土真宗の根本聖典であり、親鸞聖人が何度も推敲を重ねた上で完成に至った本です。

教行信証の教巻には「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり、一つには往相、二つには還相なり。」という言葉が記してあります。如来回向とは阿弥陀様から届けて下さる仏道です。普通、仏道を歩むとは、私たちが修行をして仏の悟りの世界に近づくことを言います。親鸞聖人は如来回向として阿弥陀様が私たちに近づいて下さり、如来回向の仏道こそが仏教であると考えました。その如来回向こそが親鸞聖人自身が救われた仏道です。法然上人、親鸞聖人は共に比叡山で仏道に入られました。法然上人は13歳で仏道に入られて、43歳でお念仏に出遇われました。親鸞聖人は9歳で仏道に入られて、29歳で法然上人門下に入られました。いずれも長い修行期間を経た上で如来回向のお念仏の道に入られました。

最澄と言えば比叡山を開かれたことで有名な高僧ですが、自身を「底下の最澄」と言われました。これは「最も劣った最澄」という意味です。最澄は懸命に戒律を守って仏道を歩まれましたが、だからこそ出てきた言葉であると言った先生がおられます。最澄ほどの僧侶が最低な人として自身を評価しました。こういった厳しい修行を伴う比叡山では法然上人・親鸞聖人共に救われることはありませんでした。そして最後にたどり着いたのが阿弥陀様の念仏一つで救われるという誓いの念仏です。阿弥陀様が名号として私たちに語り掛けて下さる念仏に出遇われたことにより、救われたのです。

私たちにとって問題なのは名号として名乗り出て下さっている阿弥陀様に私たちが出遇うことができるかどうかということです。
曽我量深師が御門徒に乞われて言われた言葉があります。それは若い女性が姑さんに頼まれて、何か曽我先生にありがたい言葉を書いてくれるようにお願いした時に書かれた言葉です。その内容は3点の問答でした。

Q1.仏様とはどんな人ですか?
Ans.私は南無阿弥陀仏であると名のっておいでになります
Q2.仏様はどこにおられますか?
Ans.仏様を念ずる人の前におられます
Q3.仏様を念ずるにはどのような方法がありますか?
Ans.「仏たすけましませ」と念じなさい。いつでもどこでもだれでもたやすく念ずることができます。

これらの問答より、仏様の方から名乗り出て、私たちを掴まえて下さるということが知られます。仏様に出会うことを浄土真宗では「回心」と言います。一度出会うと、決して別れることのない出会いになります。御文五帖目二十二通には以下のようなものがあります。

そもそも、当流勧化のおもむきをくはしくしりて、極楽に往生せんとおもはんひとは、まづ他力の信心といふことを存知すべきなり。それ、他力の信心といふはなにの要ぞといへば、かかるあさましきわれらごときの凡夫の身が、たやすく浄土へまゐるべき用意なり。(以下略)

法然上人、親鸞聖人共に長い年月をかけて聖道門の修行をしてきましたが、その結果わかったことは自分自身が「かかるあさましきわれらごときの凡夫」ということでした。修行に躓いたことによって、本当の自分に出会うことができました。自分自身のことは自分が一番わかっていると考えますが、私たちは「正体不明」「行先不明」で人生を生きているのではないでしょうか?自分の人生はこれから果たしていいことがあるのか、悪いことがあるのか、この先どのようになるかわかりませんが、「死」から逃れることはできません。しかし、真宗門徒であれば最終的にはお浄土に還ります。還るべき国があります。和讃では法然上人は「浄土に還帰せしめけり」とあります。親鸞聖人は亡くなる前に弟子たちに対して、必ず浄土で待ってますと伝えました。そういった信仰上の信念は生きる上での大切なものとして私たちはいただくことができます。

教行信証の行巻に「しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまう。」と記してあります。お念仏には「はたらき」があります。
「無明を破す」とは私たちの世界が無明であることを知らしめて下さることです。先日、お孫さんが病気になったのは田舎のお墓の墓じまいをしたせいではないかという相談を受けました。お宅に伺って詳しくお話しを聞くと、家族内の人間関係において少し考える方がよいのではないかという問題が見えてきました。私はその問題を改善するとお孫さんの病気の原因の一つは解消されるのではないかと思いました。どんな問題にも自分の糸はからんでいるものです。また、看病に伴って家事も大変になるので、その辛さのために、ついつい愚痴も出てくるとも話されました。しかし、愚痴をこぼしている自分に気が付いておられます。愚痴をこぼしている自分の姿、自らが煩悩具足の凡夫と気付いておられます。とても尊いことだと思いました。蓬茨祖運先生は「お念仏は光である」と言われました。私たちの闇を照らし出すのが光です。

「一切の志願を満てたまう。」とは大きな満足を私たちに与えて下さるということです。悟りを表す言葉として「常楽」「大楽」があります。「楽」は単に「楽しい」という意味ではありません。ふつうは楽しいことはいつか終わりが来ます。願い事がかなうことを助かると言いますが、かなったら満足するでしょうか。かなってしまったらまた新しい願い事が出てきます。「常楽」「大楽」「一切の志願を満てたまう。」とは何でしょうか?楽しいこと、つらいこと全てを含めた一切を受け止めて、それらを通して何かを得ることです。

仏法のご縁をいただく機会としては「逆縁」によるものが多いように思います。「さればよきことも、あしきことも業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまゐらすればこそ、他力にては候へ」は歎異抄のことばですが、都合のいいことも悪いことも自分ひとりの力でなんとかなるものではなく、受け入れることができれば形が変わって全てよいことになります。「一切の功徳にすぐれたる 南無阿弥陀仏をとなふれば  三世の重障みなながら かならず転じて軽微なり」は現生利益和讃ですが、これは念仏に最高の功徳があることを表したものです。過去現在未来の三世にわたるような重い障り・業報さえも必ず形が変わって少し軽くなるということです(消えてなくなるものではありませんが)。お念仏のはたらきによって、たとえ重たい問題であっても自分との係りについて気付き、それを背負って再び立ち上がる力が与えられるということです。


2018/09/08

本日は「報恩のめざめ」という講題でお話をさせていただきます。「知恩」とは「為されたことを知る」ということです。してもらったことを知るということはなかなか難しいことですが、それを「知恩」と言います。これを知らなければ自分の思いばかりを振り回して、周りが見えなくなってしまいます。恩を知れば、「報徳」つまり何かをせずにはおられなくなります。これは頭でわかるということではなく、自分の身で感じるという心が自ずと生じてきます。親鸞聖人の生涯は「知恩報徳」の生涯でした。没落貴族の子息であった親鸞聖人は比叡山に九歳のときに入り、20年にわたって修行をしましたが、そこで救われることはありませんでした。比叡山を降りて聖徳太子の祀られている六角堂に籠りました。そこでの夢のお告げに従って、法然上人の門下に入りました。「ただ念仏して」こそ仏に助けられるという法然上人の仰せに従って6年間念仏の教えを受けました。35歳で念仏の弾圧を受け、流罪となりました。『御伝鈔』にはその時親鸞聖人が「もしわれ配所におもむかずば、何によりてか辺鄙の群類を化せん。これ猶師教の恩致なり」と言われたと記されています。「師教の恩致」とは師の教えのご恩という意味です。つまり、このことがご縁となって越後の人々に念仏の教えを弘めることができた、そのことこそ師のおかげであるということです。

 

『 あたりまえ 』

 

あたりまえ

こんなすばらしい事をみんなはなぜよろこばないのでしょう

あたりまえであることを

お父さんがいる お母さんがいる 手が二本あって足が二本ある

行きたいところには自分で歩いてゆける 手をのばせばなんでもとれる

音が聞こえて声がでる

こんなしあわせはあるでしょうか

しかし、だれもそれをよろこばない あたりまえだ、と笑ってすます

食事がたべられる

夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝が来る 空気をむねいっぱいにすえる

笑える、泣ける、叫ぶこともできる 走りまわれる

みんなあたりまえのこと

こんなにすばらしいことを、みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ

なぜでしょう

あたりまえ

 

この詩を書かれたのは井村和清さんというお医者さんです。30歳の頃に膝に悪性腫瘍がみつかり、膝から下を切断しました。義足をつけて勤務を続けましたが、事情によって退職することとなり、皆さんに挨拶をされました。そのときに悲しい3つのこととして ①患者さんを診てもどうしても治せない患者さんがいることの悲しさ ②経済的に困っている患者さんが存在すること ③患者さんの気持ちになってあげることのできない悲しさ を挙げられました。その中で③番目の悲しさが特につらいことです。誰かが私を心配してくれると、私たちは生きていくことができます。阿弥陀様は「同悲同苦」といって、私たちに寄り添って悲しみと苦しみを共有してくださる「同体の大悲」である存在です。

井村さんが医者であるとともに患者であるという立場から著した本があります。『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』という本です。井村さんはこの本が出版される前に亡くなられました。飛鳥とは長女の名前で、亡くなられた時に、奥さんのおなかのなかに二女がおられました。この本は二人の子供たちへの思いを綴られたものです。この本の中に、「目に見えるものだけが全てではなく、目に見えないものこそがずっと残るものであり、それこそが大切なものです」と記してあります。亡くなった人は目には見えませんが、私たちに色々なはたらきをなさっています。亡き人を案じる私たちは亡き人から案じられています。

真宗とは「真実を宗とする」という意味で、「宗」とは「要」ということです。真実は目に見えませんが、大きなはたらきをしています。亡き人は大きなはたらきを以て、私たちを見守っています。このはたらきを「念力」とか「願力」といいます。親は死んでも願いは残ります。そして、仏さまの願いである本願に目覚めさせてもらうことが大切なことです。

井村さんは亡くなる前にご両親にお礼を言うために富山に帰省しました。生きている内に親に対してお礼をいうことはなかなかできません。親を亡くして初めて親に出遇うことが多いと思います。親は子供と一体の関係であり、それは「自利利他」と言う言葉で表すことができます。つまり子供の幸せは親の幸せであるということです。仏様はすべての人々に「あなたが幸せを得なければ、私は幸せになることはない」という存在です。

お経には「若不生者 不取正覚」という言葉があります。「もしあなたがお浄土に生まれなければ、私は覚りを得ません」という意味です。親の願い、仏さまの願いに私たちが目覚めさせていただくということは大きな意味があります。

西川和榮さんの詩に「吸うて吐き 吸うて吐きつるこの呼吸の ただごとでなき このただのこと」というものがあります。目には見えない大切な空気のはたらきによって私たちは生かされています。仏さまは色々なかたちをもって私たちにはたらいています。空気もまた仏さまの姿の一つです。決して当たり前のことではなく、仏さまのはたらきによってここにおらせていただいています。

先日、お寺で法事を勤めました。施主さんの養父の五十回忌と養母の二十三回忌です。施主さんは幼いときに養子に入りました。施主さんの実父は大阪に養子に出したくなかったそうです。その実父の思いが施主さんに伝わって、大阪で頑張られていると思います。その方はお内仏も大事にされており、親からの思いを受け継いでおられる方です。お念仏は私たちを含む広い十方世界に対して呼び掛けられている名前です。ですので、お念仏を「御名」とか「名号」と言います。これは「如来回向」といって、如来様から私たちに対して回し向けて下さっている名前です。これによって如来様のお心を私たちがいただくことができます。曽我量深師は私たちが無条件で絶対的に如来様から信じられていることを「絶対信」と呼びました。お経のなかには「一一の光明 遍く十方世界を照らす 念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」とあります。阿弥陀様のはたらきは光となって私たちを照らします。念仏の衆生を摂め取って捨てません。念仏を称える人だけという意味ではなく、あらゆる人に念仏を称えてほしいという意味です。また『浄土和讃』には

十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし

摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる

とあります。「摂」とは逃げるものを捕まえてでもという意味があります。阿弥陀様が様々な形をとって私を捕まえて助けてくださるということです。「不捨」(捨てない)とは「待つことのできるはたらき」です。『浄土和讃』に

弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり

法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり

がありますが、これは「阿弥陀様が仏様になられてから十劫(とても長い時間)が経ちました。仏様のはたらきが光となって私たちの闇を照らして下さっています」ということですが、これが「不捨」です。東井義雄先生は「根を養えば 樹は育つ」とおっしゃいました。深い愛情を注いで、大事に育てれば時間はかかるかもしれないがいつかは大きく育ちます。阿弥陀様の「不捨」とはこれと同様、「いつまでも待ってますよ」というはたらきです。阿弥陀様は何を以てしても間に合わないときは私のところに帰って来ると思っておられ、その時まで待っておられます。私たちは生老病死から逃れることはできません。念仏の教えは生と死は一体であり、「生死一如」といいます。これに対して娑婆世界のとらえ方は「生死の境」を作ってしまう世界です。生と死を分けています。無量寿のいのちをもつ阿弥陀仏によって生かされ、浄土に還って仏にならせていただくのです。私たちもまた無量寿のいのちに遇わせていただく身です。

 

生き死には 花の咲くごと 散るがごと 弥陀のいのちの かぎろいの中(藤原正遠)

 

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2018/03/08

 

お寺でのお勤めはお経を読むことと思われており、浄土真宗にはお経として「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経がありますが、平生は正信偈をお勤めすることがほとんどです。。本日は正信偈をお勤めされてました。しかし、正信偈はお経ではありません。お経はお釈迦様が説かれたものといわれています。全てのお経をお釈迦様が説いたものとは限りませんが、仏法の精神は受け継がれて私たちに伝わっています。私のお寺がある奈良県香芝の地域では冠婚葬祭を通じて仏法に触れる機会があります。しかし、近くにたくさんある新興住宅地にはお寺がないので、仏法に触れる機会がありません。ですが、そういった方もお葬式などをご縁として仏法に触れ、興味を示してくれることもあります。宗教離れとよく言われますが、日本人としての文化の底には仏教の精神が流れていることがわかると思います。

 

正信偈は親鸞聖人の著作である教行信証(正式名称は「顕浄土真実教行証文類」)の中に書かれている詩歌です。「顕浄土真実教行証文類」は「浄土の真実を顕(あきら)かにする教と行と証について書かれた文章を集めたもの」という意味です。つまり浄土に関する様々なお経のエッセンスを集めた書物ということです。「教」はその教えを指し、「行」はその教えに従って生きること、「証」はそれによって悟りを得ることです。その略称にはさらに「信」という文字が追加されています。「教」「行」「証」は仏教においてはどの宗派においても共通するものですが、普通の暮らしを営む人にとって「行(修行)」を行うことは容易ではありません。そういう人は悟りの境地に至ることはできなくなってしまいます。必ず私たちは救われるという阿弥陀仏の教えを信じることが真宗門徒の「行」であり、そういう意味では「行」と「信」は一致します。そのため、この大切な意味を有する「信」の文字を追加してあります。教行信証の中で、信巻が一番量が多いことからも「信」が大切なことであることがわかります。

 

正信偈の中で「蓮華蔵世界」という言葉が出てきます。これは華厳経というお経に出てくる、お浄土のことを表す言葉です。また、同じく正信偈の中の「分陀利華」という言葉は白蓮華(白い蓮華の花)のことで、「観無量寿経」というお経の中に「念仏を称える人は白い蓮のような人です」と記しています。維摩経というお経の中には「譬えば高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の汚泥にすなわち此の華を生ずるが如し。」と信心の定まった人のことを蓮華に例え、汚泥のことを私たちの住む煩悩にまみれた娑婆世界に例えています。私たちは生きていくために殺生をしたり、嘘をついたりと多くの罪を犯しています。これを当たり前のように思っていると、ずっと泥の世界に埋まったままです。しかし、そのことを受け止めて生きられるようになると、生きることがありがたく、一層の喜びに溢れることとなります。他人に迷惑をかけずに生きることができないものが人間であり、そのことを自覚し、生かさせていただいていることに気付くと、あらゆるものに対してありがたいという気持ちが生まれ、充実した人生を送ることができます。

 

蓮華の特徴を言う「淤泥不染の徳」はこのような信心を得た人にたとえられます。信心という花は煩悩にまみれた私たちの生活の中から花開くからです。また、これは「蓮華の五徳」と呼ばれる五つの徳の一つです。

 

五徳の中の残り4つの徳ですが、「一茎一花の徳」とは1本の茎の上には1つの花しか咲かないことから、私たちのいのちは一人ひとりに固有のもので、他の誰とも変わりようがないということを表しています。

 

「花果同時の徳」とは蓮の花は咲いたときに同時に実が出来ている様を指します。私たちにとって、段階を踏みながら修行し、その修行の成果として花を咲かせ、涅槃という実を実らせるということは大変に困難なことです。しかし、信心の世界では自分が生かされているということに気付いたときには既に救われています。信心に目覚めたときには信心が定まる様子を蓮の花が咲くと同時に実ることに例えています。

 

「一花多果の徳」は一本の蓮の花にたくさんの実ができる様子を指しています。真実の教えに出会うと、一気にたくさんの真実が見えてくることを例えています。それが多くの人々の幸せに繋がっていくことでもあります。

 

「中虚外直の徳」は蓮の茎に栄養を運ぶために管のように穴が開いている様子を指します。奈良のお寺では蓮の葉にお酒をついで、反対側の茎の先からお酒を飲む「象鼻杯」を初夏の風物詩としてイベントを行っているところがあります。茎が立って、その先に花をつけている様子は一見すると弱くてすぐに折れてしまいそうですが、空洞が茎の中にあることによって強度が増しています。私たちはそれぞれ弱い人間ですが、信心をいただくことにより大きな蓮の花を支えられるほどの強さを得ることができます。蓮の花を私たちが見ることによってお念仏をいただき信心を得ることの大切さを知り、人生の方向を確認することができます。

 

たとえ五濁悪世の世の中であっても、その世界の中には五徳が存在します。それを知るため法座の場はいつでも皆様を歓迎する場であり、ありがたい場であることを多くの方に知ってほしいと思います。

 

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2018/02/02

 

昔から故郷を想ってうたわれた詩歌はたくさんあります。しかし、生涯生まれ故郷を離れない人は故郷への郷愁はあまりないものだと思います。先日、京都の町屋で催された写真展を見に行く機会があり、たまたま相席になった方とお話をしました。神戸の出身で、震災後イギリスに渡り、それ以来イギリスに住んでいる方でした。海外に住んでいると望郷の念が募りますが、震災後すっかり町並みが変わってしまって、今の神戸はその方の抱いているイメージとは異なるものだそうです。望郷の思いはありますが、実際に帰って来ると寂しい思いをするそうです。私も時々帰郷しますが、抱いているイメージとは異なるところもあり少々寂しい思いもします。東北は震災後復興が進んでいますが、町並みや田畑は震災前と全く同じ状態に戻るわけではありません。見た目だけではなく、そこでの生活や文化など全てを含めたものを故郷と実感するものなのでしょう。生活環境が変わってしまったため、帰りたくても生活が成り立たないなどの理由で帰れないと思っている方もたくさんおられます。故郷に対する思いは人によってそれぞれ異なる思いがあります。

 

私の住んでいる奈良はとてもいいところなのですが、生まれてからずっと住んでいる人はなかなかそのよさには気づいていません。古典には奈良に関する記述がたくさん見られます。古事記の中で日本武尊が故郷を想って詠ったのが「やまとは国のまほろば 畳なづく 青垣山籠れる 大和しうるはし」です。万葉集にも奈良に関する多くの詩があり、その一つに「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」が、また松尾芭蕉は「奈良七重七堂伽藍八重桜」とかつて繁栄した平城京を想って詠んでいます。その句から想を得て「奈良七重菜の花つゞき五形(れんげ)咲く」と夏目漱石が正岡子規に送った俳句があります。子規も「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という有名な句を漱石に送っています。

 

私の住む香芝市は最近急速に人口が増加し、住宅が増加したため、レンゲ畑もすっかり見られなくなりました。れんげは自然に咲いているのではなく、人間が種をまいて育てていました。そして田植えの前に、レンゲを土に鋤きこんで、肥料(緑肥)とします。レンゲは根に窒素を蓄えているので、その窒素が肥料になります。根に根粒菌が寄生しており、レンゲから栄養をもらう一方、レンゲに対して窒素を供給する役割を果たしています。レンゲと根粒菌はこのように共生をしながら、結果的に稲作に対しても肥料を供給しています。

 

親鸞聖人は阿弥陀仏の浄土を蓮華蔵世界と正信偈に訳しています。蓮の華に託し、そう表現するのはあらゆるものがそれぞれのはたらきを持っており、気づいていないことも多々ありますが、様々なところでお互いに関連し共生しているという世界観です。蓮の華と同じ名を持つレンゲ草ですが、レンゲ畑ののどかな風景はお米を育てるために必要な光景ですし、そのために根粒菌という目にも見えない小さな菌の助けが必要です。

 

しかし、最近は休耕田もすっかり増えてレンゲ畑を目にする機会は少なくなりました。この理由は休耕田が増えただけではなく、化学肥料が普及してきたこともあります。化学肥料は手間をかけることなく、窒素を与えることができるからです。そのため、手間のかかるレンゲを肥料として育てる農家の人は少なくなりました。

 

一方、はちみつを採るためにレンゲを積極的に育てている人もいます。レンゲは蓮の花に形が似ているため蓮華と言います。蓮の花は一本の茎の上に花がひとつ咲きます。レンゲは一見、一本の茎に花が一つのように見えますが、よく見ると一つの花ではなく、多くの小さな花が集まって蓮の花の形のようになっています。一つ一つの小さな花は筒状に細くなっていて、蜂がきちんと花の上にとまらないと蜜を吸うことができないようになっています。蜂がとまると、おしべとめしべが重みによって外に出てきて、蜂に花粉がつき、他の花で受粉します。レンゲは蜂に蜜をやる代わりに受粉を助けてもらい、互いに共生することが可能になっています。このようにレンゲは色々なものと共生しています。

 

私たちは日常生活において、「自分はこれだけしてあげているのに、あの人は何もしてくれなくて、恩知らずだ」と思うときがあります。しかし、私たちはご先祖様をはじめ、色々なものの恩恵を受けて生きさせていただいていますが、そのことになかなか気付けないので、それに対して感謝することはあまりありません。普段、自分は自分の思いや甲斐性で生きていると思っています。しかし、こうして聞法することで色々な恩を受けて生かさせていただいている自分に気付く機会を時々でも持つことができると、他者に対して「ありがたい」という気持ちを持って生きることができるのではないでしょうか。不平不満を持ち続けて死んでしまうよりずっと豊かな人生を送ることができます。共生しているという事実を自然の営みから気付かせてもらうということは大切なことだと思います。

 

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