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楠樹章麿先生 「随所に従となる」(2019年11月8日 報恩講)

2020/02/27 - 真宗の教え

私たちは年齢を重ねると、物覚えが悪くなったり、身体が思うように動かなくなったりしてしまいます。災害時には高齢者は早めに避難するように行政も呼び掛けています。「いのちを守る行動をして下さい」と今年の豪雨の際に呼び掛けられているのをよく耳にしました。この言葉は流行語大賞にもノミメートされていました。

仏教には

「随所に主となれば立つ処 皆真なり」 臨済義玄「臨済録」

という臨済宗の言葉があります。これは「常に自分自身を見失うな」という意味です。現代に生きる私たちは時に情報が多すぎて、かえってそのことに惑わされることもあります。主体性を持って、自分を見失わないということは大切なことです。

これに対して、金子大栄先生は「随所に従となる」と言われました。臨済宗の言葉とは全く反対の言葉です。金子先生がこう言われた根底には親鸞聖人の「自然法爾」というお言葉があります。これは「現実をそのまま受け止めて生きれば、それが自分らしく生きることだ」という意味です。今年の災害を振り返って見ると、人間の作為によって被害が拡大した面も見受けられるように思います。そういった面においても「あるがまま受け入れる」ということは大切なことかもしれません。

私は砂漠が好きで、世界の中でも大きいと言われる砂漠の何ケ所かに行ったことがあります。砂漠といえばラクダですが、ラクダの生態を見ると「随所に従となる」という生き方の意味がよくわかるように思います。

私たちは生きてる中で、なかなか自分自身に満足が出来ません。それはある意味では自分で自分を見捨てている姿であるといえます。真宗の教えは今の自分自身に出会うことです。それが「自然法爾」であり「随所に従となる」ということです。

ラクダは砂漠という過酷な環境下で生きています。ラクダのコブの中には脂肪が含まれていてエネルギーとして使用します。ラクダの胃には多くの水を貯められます。そのため1ケ月以上も飲まず食わずで生き続けることができるそうです。また、ラクダは鼻の穴を開け閉めできます。これは砂や熱気が急に体の中に入らないようにするためです。ラクダの足は肉厚で大きくなっています。これは砂をガッチリとつかんで砂の上でも歩きやすいためです。砂の熱さにも耐えられる足の裏になっています。ラクダは匂いを嗅ぐ能力も優れていて、水の匂いを感知できます。砂漠でわずかな水の匂いを嗅ぎつけることができます。ラクダほど自分の生きている環境に能力を適合させた生きものはいないかもしれません。

砂漠ではところどころに草が生えている場所があります。その草の根は時に数十メートルにも及ぶことがあります。その根は深い場所にある地下水を目指して延びています。そういった草には硬い棘が生えていて、動物が草を食べることができないように守っています。しかし、ラクダはその草を食べます。食べることによって口の中は血だらけになりますが、血と共に棘も飲み込みます。その草はラクダのみが食べることができるもので、名前はラクダ草と言います。

ラクダは長い年月をかけて、環境に見事に適応した例ですが、親鸞聖人は「わが計らわざるを自然と申すなり。これ即ち他力にてまします。」とおっしゃいました。つまり、「周りに逆らわずにそのまま素直に受け入れる。それが「即ち他力である」ということです。人間の種々の計らいにより便利で快適な暮らしをできるようになりましたが、人間が人間として人間らしい暮らしをできるようになっているかどうかを振り返ることが必要でしょう。自分で変更することのできない自分のいのちについて、計らうことなくありのまま受け入れて生きることが大切ですよということを親鸞聖人は言いたいのではないかと思います。それが「自然法爾」「随所に従となる」ということではないのかと思います。


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