気の置けない友人や家族の前で、その場にいない人の欠点をあげつらったり、悪口を言って盛り上がったりする。そんな経験を誰もが一度や二度したことはないだろうか。調子にのって、言わないでいいことまで話し、決まって最後には後味の悪い思いをし、後悔するのがオチである。
後になって反省をするのだが、「悪かった」と反省してみたところで、悪いところを改善できると思い込んでいる限り、見えてくるのは善人面の私の姿ではないだろうか。
どこまでも都合よく私自身を見ようとするその性根を照らし、気づかせるはたらきに出会わない限り、自分自身の闇など思い当たりもしないのだろう。(難波別院HPより)
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