昔から故郷を想ってうたわれた詩歌はたくさんあります。しかし、生涯生まれ故郷を離れない人は故郷への郷愁はあまりないものだと思います。先日、京都の町屋で催された写真展を見に行く機会があり、たまたま相席になった方とお話をしました。神戸の出身で、震災後イギリスに渡り、それ以来イギリスに住んでいる方でした。海外に住んでいると望郷の念が募りますが、震災後すっかり町並みが変わってしまって、今の神戸はその方の抱いているイメージとは異なるものだそうです。望郷の思いはありますが、実際に帰って来ると寂しい思いをするそうです。私も時々帰郷しますが、抱いているイメージとは異なるところもあり少々寂しい思いもします。東北は震災後復興が進んでいますが、町並みや田畑は震災前と全く同じ状態に戻るわけではありません。見た目だけではなく、そこでの生活や文化など全てを含めたものを故郷と実感するものなのでしょう。生活環境が変わってしまったため、帰りたくても生活が成り立たないなどの理由で帰れないと思っている方もたくさんおられます。故郷に対する思いは人によってそれぞれ異なる思いがあります。
私の住んでいる奈良はとてもいいところなのですが、生まれてからずっと住んでいる人はなかなかそのよさには気づいていません。古典には奈良に関する記述がたくさん見られます。古事記の中で日本武尊が故郷を想って詠ったのが「やまとは国のまほろば 畳なづく 青垣山籠れる 大和しうるはし」です。万葉集にも奈良に関する多くの詩があり、その一つに「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は」が、また松尾芭蕉は「奈良七重七堂伽藍八重桜」とかつて繁栄した平城京を想って詠んでいます。その句から想を得て「奈良七重菜の花つゞき五形(れんげ)咲く」と夏目漱石が正岡子規に送った俳句があります。子規も「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という有名な句を漱石に送っています。
私の住む香芝市は最近急速に人口が増加し、住宅が増加したため、レンゲ畑もすっかり見られなくなりました。れんげは自然に咲いているのではなく、人間が種をまいて育てていました。そして田植えの前に、レンゲを土に鋤きこんで、肥料(緑肥)とします。レンゲは根に窒素を蓄えているので、その窒素が肥料になります。根に根粒菌が寄生しており、レンゲから栄養をもらう一方、レンゲに対して窒素を供給する役割を果たしています。レンゲと根粒菌はこのように共生をしながら、結果的に稲作に対しても肥料を供給しています。
親鸞聖人は阿弥陀仏の浄土を蓮華蔵世界と正信偈に訳しています。蓮の華に託し、そう表現するのはあらゆるものがそれぞれのはたらきを持っており、気づいていないことも多々ありますが、様々なところでお互いに関連し共生しているという世界観です。蓮の華と同じ名を持つレンゲ草ですが、レンゲ畑ののどかな風景はお米を育てるために必要な光景ですし、そのために根粒菌という目にも見えない小さな菌の助けが必要です。
しかし、最近は休耕田もすっかり増えてレンゲ畑を目にする機会は少なくなりました。この理由は休耕田が増えただけではなく、化学肥料が普及してきたこともあります。化学肥料は手間をかけることなく、窒素を与えることができるからです。そのため、手間のかかるレンゲを肥料として育てる農家の人は少なくなりました。
一方、はちみつを採るためにレンゲを積極的に育てている人もいます。レンゲは蓮の花に形が似ているため蓮華と言います。蓮の花は一本の茎の上に花がひとつ咲きます。レンゲは一見、一本の茎に花が一つのように見えますが、よく見ると一つの花ではなく、多くの小さな花が集まって蓮の花の形のようになっています。一つ一つの小さな花は筒状に細くなっていて、蜂がきちんと花の上にとまらないと蜜を吸うことができないようになっています。蜂がとまると、おしべとめしべが重みによって外に出てきて、蜂に花粉がつき、他の花で受粉します。レンゲは蜂に蜜をやる代わりに受粉を助けてもらい、互いに共生することが可能になっています。このようにレンゲは色々なものと共生しています。
私たちは日常生活において、「自分はこれだけしてあげているのに、あの人は何もしてくれなくて、恩知らずだ」と思うときがあります。しかし、私たちはご先祖様をはじめ、色々なものの恩恵を受けて生きさせていただいていますが、そのことになかなか気付けないので、それに対して感謝することはあまりありません。普段、自分は自分の思いや甲斐性で生きていると思っています。しかし、こうして聞法することで色々な恩を受けて生かさせていただいている自分に気付く機会を時々でも持つことができると、他者に対して「ありがたい」という気持ちを持って生きることができるのではないでしょうか。不平不満を持ち続けて死んでしまうよりずっと豊かな人生を送ることができます。共生しているという事実を自然の営みから気付かせてもらうということは大切なことだと思います。
神戸で納骨堂をお探しの方は→こちらへ